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東京地方裁判所 昭和32年(レ)16号 判決

控訴人 佐藤コト

右代理人弁護士 中沢清志

同 安武宗次

被控訴人 岩本由見

右代理人弁護士 池田清治

同 芳賀繁蔵

主文

原判決中、控訴人に対する部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

被控訴人が昭和十八年九月本件家屋を菅千代三から買い受け、その所有権を取得したこと、当時既に控訴人が菅千代三から本件家屋の一部を期間の定めなく賃料は月五十五円の約で賃借していたので、控訴人は本件家屋の所有権を取得すると同時に、本件家屋の賃貸人たる地位を承継したこと、本件家屋の賃料が昭和二十六年一月以降月額千円となつたこと、控訴人が、現在本件家屋の階下東側の八畳一間、四畳半二間、三畳一間を含む十八坪五合(以下「控訴人使用部分」という。)を使用していること、被控訴人が、昭和二十六年十一月十九日内容証明郵便を以つて、控訴人使用部分を自ら使用する必要があることなどによつて解約する正当な理由があるものとして賃貸借契約を解約する旨の申入れをし、これが同日控訴人に到達したことは当事者間に争いがない。

そこでまず被控訴人が昭和二十六年十一月十九日にした、控訴人使用部分を自ら使用する必要があることなどを理由とする解約の申入れの効力について考えてみる。

被控訴人についての事情としては、公文書であつて真正にできたことの認められる甲第六号証の一から八まで、被控訴人本人尋問の結果によつて真正にできたことの認められる甲第二十号証並に原審での証人小川忠男、同鈴木辰秋、同横山藤三郎、同岩本さわの各証言、原審および当審での証人菅千代三、同山下誠の各証言、被控訴人本人尋問の結果(当審では第一、二回)当審での検証の結果を綜合すると、次の事実が認められる。

(イ)  被控訴人は、戦争中合資会社岩本製作所の無限責任社員として東京都板橋区前野町七百三十五番地の、小泉大次郎所有の借地上に工場及び住居を所有し工員十数名を使用して、鉄工場を経営し機械の部品を製作していたが、昭和十八年九月菅千代三から、当時既に控訴人がその一部を賃借して歯科医院を開業していた本件家屋を買受け、その二階六畳、四畳半各一間、階下西側の八畳、六畳、四畳半各一間を含む現に被控訴人が使用している部分(以下「被控訴人使用部分」という。)を妻および三人の子供とともに住居として使用し、被控訴人は前記の工場に通つてその営業を継続していたが昭和二十年四月十三日、空襲によつて右板橋区前野町所在の工場住居は焼失してしまつたので、前記会社を解散して営業をやめた。その後暫く被控訴人はなにもしないでいたが昭和二十一年暮頃から被控訴人使用部分の二階を仕事場として鍛造用金型の製作業を始めたが、間もなく階下西側の八畳間の床を落しさらにその後多少の建増しをして約五坪の仕事場に改造し、ここで仕事をするようになつた。しかし主として被控訴人が一人で仕事をする関係から、金型としては小型の部類に属する重量二十貫前後のものまでしか製作できない状態にあつたため、注文を受け得る範囲も相当の制限を受け、従つて収入の面においても、被控訴人の営業のみでは被控訴人夫婦と子供四人の家族の生活に十分な程度のものを挙げうるに至らなかつた。そのうえ昭和二十六年七月頃から被控訴人は健康を害し、従来どおり仕事をすることができず医療費もかかるようになつたので、収入の増加を計るため、それまでよりも大型の金型の製作もできるようにしなければならなくなり被控訴人の仕事を補助する者、および将来被控訴人の営業を引き継ぐ者をなるべく早く得ることが必要になつた。(ロ)、昭和二十六年七月頃被控訴人の長男は在学中であつたが、同人は被控訴人の家業に従事することを余り好んでいなかつたので、被控訴人としては当時高等学校在学中で、昭和二十八年三月に卒業の見込みであつた長女の卒業を待つて同女と被控訴人の取引先である鈴木辰秋の妻の弟大山利夫とを結婚させるならば大山が被控訴人と同業であるから、被控訴人の補助および営業の引継ぎにも好都合であると考え、双方の間に縁談が進められた。(しかしこの縁談は成立せず昭和三十一年十一月長女は別の人と結婚して現在は上板橋町十丁目に住んでいる。)(ハ)、さらに被控訴人としては、もと使用していた職人で、山梨県に居住している田中精二をその家族とともに呼び寄せ、本件家屋に同居させて被控訴人の仕事の補助をさせたいとも考えていた。(ニ)、被控訴人は、被控訴人使用部分のうち、二階の六畳間を昭和二十四年十月頃から昭和二十七年十一月まで小川忠男に賃貸し、階下の六畳間を昭和二十六年四月から昭和二十七年三月頃まで、午後四時頃から八時頃までの間山下誠に算盤塾として使用させていた。(ホ)、被控訴人方の工場と外部との通路としては、本件家屋の西側を通る通路と、本件家屋の南側を通り控訴人の営業している歯科医院の玄関を通る通路の二つがあり、いずれもその最も狭い部分は幅三尺足らずであつて、リヤカーの通行も困難である。右通路のうち本件家屋の南側の通路がこのように狭くなつたのは、この通路の公道に面した部分に、被控訴人が、昭和二十五年十一月頃妻に使用させる目的で建て、その後他人に賃貸している十坪余の建物があるためである。(ヘ)、被控訴人の仕事場の南側には、東西約四間南北約八間の空地があるほか、その東側にも若干の空地がある。

以上の事実が認められ、この認定を覆えすに足りる信用すべき証拠はない。

なお被控訴人は昭和二十六年十一月当時、その健康状態が、家族との別居又は単独の居室を必要とする状態にあつたと主張するけれども、これを認めるに足る証拠は何もない。また被控訴人の長女と大山利夫との婚約が成立していたという主張も、被控訴人本人の供述中これに副う部分は証人鈴木辰秋の証言に照らして信用できず、他に右主張を認めるに足る証拠はない。

他方控訴人についての事情としては、原審および当審での証人菅千代三の証言、控訴人本人尋問の結果、当審での検証の結果、および、弁論の全趣旨を綜合すると、次の事実が認められる。

(イ)、控訴人は、昭和十七年七月頃、本件家屋のうち控訴人使用部分(但し、昭和二十五年に控訴人が増築した部分を除く。)および二階の六畳、四畳半各一間を、歯科医院開業のため、当時の所有者菅千代三から期間の定めなく賃借したうえ、右菅の承諾を得て、階下の四畳半一間を治療室、三畳間を待合室にそれぞれ改造し、更に一畳半の技工室炊事場等を増築して、母および子供一人とともに居住歯科医院を開業した。(ロ)、昭和十八年九月、菅千代三が本件家屋を被控訴人に譲渡する際賃借していた二階二間を被控訴人の要求によつて、同人に使用させるため菅に返還した。(ハ)、昭和二十四年一月からは内縁の夫岡島英雄も同居するようになり、昭和二十六年十一月当時は、控訴人夫婦、母、子供二人が居住していた。(ニ)、本件家屋は東上線上板橋駅より駅前通りを南方に約二百五十米進んだ処にあり、控訴人が開業した当初は、附近は未だ人家も余り多くなかつたが、戦後次第に人家が立ちならび駅前通りは商店街となつて、来院患者も次第に増加し、控訴人の医院の経営も一応安定し、現在は月収三万三、四千円を挙げるに至つている。

右のような事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

前記認定の事実によつて、解約申入れ当時の当事者双方の事情を比較してみる。

当時被控訴人は、本件家屋に移転した頃に比べて、子供も一人増えて大きくなり、所有していた工場を戦災で失つたため、被控訴人使用部分のうち、八畳間を仕事場として使用するようになつていたので、住居として使用する部分が当初よりも狭くなつていたこと、被控訴人の仕事の内容上、および被控訴人が健康を害したため別に人を使つて仕事をしなければならなくなつたこと等から八畳間を改造した仕事場では狭いので拡張する必要を生じたことはうかがわれるけれども、被控訴人が数名の者を使つて仕事をしなければならないのなら格別、一、二名を使つて仕事をするためには、被控訴人使用部分の明渡を求めなくても、現在ある空地が広いとはいわないが、これを適当に利用するならば、被控訴人の住居の部分を縮少させないでも仕事場の拡張はできると考えられる。被控訴人が、雇人をその家族とともに被控訴人方に同居させるということは、被控訴人の営業にとつて便宜なことであろうが、それ自体は、他に特別の事情のない限り、その為に賃借人に明渡しを求めることを正当ならしめるものではない。他方、控訴人が前記解約申入れ当時住居として使用していた部分は八畳、四畳半各一間と控訴人が増築した二畳間であつて居住者数と住居の部分の広さの割合は、被控訴人方に比べてむしろ狭く、営業に使用している部分も、技工室は控訴人が増築したものであり治療室、待合室も歯科医院として必要な範囲のものと考えられること、控訴人が本件家屋において歯科医院を開業してから当時まで九年余を経過し、漸く来院患者も増加して一応生活の安定を得られるようになつたもので他に移転することになれば、そして移転の場所によつては、必ずしも従前の患者がそのままくるとは考えられず、したがつてその収入に相当の打撃を受けるであろうことは容易に推察出来ることを考えると、控訴人の現在の収入から推測して控訴人が被控訴人に比べ、当時においても経済的に幾分余裕のある生活をしていたことは認められるにしても、控訴人使用部分に対する必要度は、控訴人の方がより高かつたと言わざるを得ないのである。

そのほか、当事者双方の本件家屋に居住するようになつたいきさつ、および控訴人はその使用部分について、歯科医院経営のため、増改造等に相当の費用をかけていたこと等を併せ考えると、結局被控訴人が昭和二十六年十一月十九日にした解約申入れは正当事由がなく、その効力がなかつたものというべきである。したがつて、被控訴人の控訴人に対する第一次の主張は、理由がない。

そこで次に、被控訴人が昭和二十八年一月十二日にした契約解除の意思表示の効力について考える。

被控訴人が、昭和二十八年一月十二日、内容証明郵便を以つて、控訴人の不信行為を理由として賃貸借契約を解除する旨の通知をし、これが同月十三日控訴人に到達したことは当事者間に争いがない。

原審での証人岩本さわの証言、原審および当審証人山下誠、同菅千代三の各証言、被控訴人(当審では第一、二回)控訴人各本人尋問の結果、当審での検証の結果を綜合すると、控訴人は、控訴人使用部分の北側玄関の東側にあつたひさしが小さいため、廊下、治療室等に雨が吹き込み、漏電の危険もあつたので、やむを得ず昭和二十五年に、菅千代三にたのんで、従来あつたひさしを取外しこの部分に二畳間を増築し、その際北側玄関のひさしの東側の一部、および、炊事場の屋根の西端の一部を、それぞれ右二畳間の屋根を取付けるために必要な限度で切りとつたこと、昭和二十六年九月頃、控訴人が被控訴人に対して、南側玄関(医院用玄関)および待合室の改造の承諾を求めたところ、被控訴人の代理人山下誠から、控訴人が一年半後に控訴人使用部分を明渡すことを承諾し、その旨を記載した書面を被控訴人に交付するならば、改造を承諾するとの申入れがあつたのに対し、控訴人は、右明渡しの申入れを拒絶し、改造についての承諾を得ないまま、菅千代三にたのんで、畳敷きであつた待合室を板敷きとし、同室の南東側にあつた三尺四方上下二段の棚を板で塞ぎ、玄関の土台の腐蝕した部分を取替えたこと、および右待合室は、控訴人が菅千代三から賃借した時は板敷きであつたのを控訴人が自己の費用で畳敷きに改造してあつたものであることが認められる。証人岩本さわの証言および被控訴人、控訴人各本人尋問の結果中右認定に反する部分は、いずれも信用できないし、他に右認定を覆すに足る証拠はない。もつとも控訴人は前記北側二畳間の増築について、菅千代三から賃借していた際同人の承諾を得、更に被控訴人の承諾をも得たと主張するけれども、控訴人本人尋問の結果中この主張に副う部分は信用できないし、他にこれを認めるに足る証拠はない。

右に認定したとおり、控訴人は昭和二十五年中に北側二畳間を、昭和二十六年九月頃、待合室および玄関をいずれも被控訴人の承諾を得ないで、増築改造したのであるが雨の吹込みや漏電の危険にさらされ必要にせまられて行つた工事であつて被控訴人が主張するように北側玄関のひさしを破壊したまま放置してあるというものではないし、この二畳間の増築によつて、本件家屋の保存に、悪い影響を及ぼしていると見ることはできない。また待合室、玄関の改造の程度も右に判示したとおりで、被控訴人の主張するように、押入を取こわし、三畳間を四畳半に改造したというようなことはないのであるから、控訴人がした右の程度の増築改造は、いずれもまだ賃借物をその使用の目的の範囲内で使用し保管すべき賃借人の義務に著しく違反しているものと見ることはできず、賃貸人である被控訴人に対する不信行為があつたとはとうてい言うことができないのである。そうだとすると右の程度の控訴人の行為によつては、被控訴人に賃貸借契約の解除権は発生しなかつたことになるので、被控訴人が昭和二十八年一月十二日にした契約解除の意思表示もまた、その効力がなかつたものというべきである。したがつて、被控訴人の第二次の主張も理由がないことが明かである。

以上の次第であるから、本件家屋につき控訴人の賃借権が消滅したことを前提とする被控訴人の本訴請求は理由がなく、被控訴人の請求を認容した原判決は失当であるから、民事訴訟法第三百八十六条によつて原判決を取消して被控訴人の請求を棄却することにし、訴訟費用の負担について同法第九十六条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石橋三二 裁判官 短田穰一 寺井忠)

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